K’s blog

日系SIer → 外資戦略コンサル → 日系電機メーカー → ロボットメーカー、というちょっと転職回数多めの筆者が、雑学・ビジネス・政治経済・趣味のマンガについて語るブログです。

137億年の物語⑤

子供が中学生か高校生になったら読ませたいと思ったおすすめ本

137億年の物語

の紹介の続き。古代史その4です。


500年頃2700万人だったヨーロッパ人口は150年後には1800万人に激減。経済も破綻。

中国の漢がモンゴルのフン族を退け、フン族ゲルマン民族を襲い、ゲルマン民族がローマを襲うドミノ倒し。さらにペルシア、イスラムからも攻め込まれる。イスラムからの首都侵略を免れたのは、たまたまそのときイスラムで飢饉が起きたため。これがなけれはヨーロッパのキリスト教世界は大打撃を受けていた。

泣きっ面に蜂で火山も噴火して気候変動も激しかった。

350-750年のヨーロッパは不遇の時代。800-1300年頃は温暖化&ちょっと復活。カール大帝教皇が協力して統治。封建制を導入。その結果、地方領主が領地を支配する構造に。

 力を増したヨーロッパはイスラムへ侵攻(十字軍1100-1200年)。でも200年にわたって大失敗。第一回遠征はイスラム教と市民を虐殺。第二回遠征ではユダヤ人大量虐殺。でもキリスト磔の復讐として正当化。第三回はイングランド王、フランス王、神聖ローマ帝国皇帝という面子で進軍するも、ローマ皇帝は川で溺死、フランス王は赤痢で撤退。イングランド王は自軍だけで勝ち目がないので休戦協定を結んで撤退するが、帰る途中で王位を巡るいざこざで、新たな神聖ローマ皇帝の捕虜になり、歳入の二倍の身代金を払って解放されるも5年後に戦場で受けた矢傷が元で死亡。第四回はエルサレムに近づきもせず、ビザンツ帝国コンスタンティノープル、そもそも十字軍の支援を求めたキリスト教住民の都を襲い、略奪・虐殺。おいおいひでーな。唯一の成果はローマ崩壊と中世の混乱で失っていたギリシア科学を再び手に入れたこと。

その後、人口が増えたヨーロッパは小国同士の内戦状態が続く。(100年戦争1300年)

でも増えた人口を支えられず、食料不足に。道徳や秩序はなく、子供達は捨てられた。ヘンゼルとグレーテルの話はこの時代の話。平均寿命は1276年で35歳だったのが1325年には23歳に。うわひどい。黒死病が中国から入り込む。更に疫病に罹った兵士の死体を投石機で市内に投げ込む、というテロ戦術のせいで大流行。3年間で総人口の半分4000万人が死亡。都市では7割の人口が失われることも。1348-1375年の平均寿命は17歳!

人口が激減→戦争の方法変化(人員育成に手間のかかる弓兵隊から銃と大砲へ。)→封建制と騎士道の衰退。

1500年頃まで繁栄してたのはむしろイスラムと中国。ヨーロッパで唯一栄えたのはイタリアだが、それもイスラムの交易拠点網の一つに過ぎない。コショウ取引価格もイスラムに支配され、大半の利益はイスラムへ。しかもイタリアの繁栄は一部商人に限られたので他国の嫉妬を買いまたヨーロッパ同士で戦争(イタリア戦争)。

1500年代前半、オスマン帝国はエジプト、ハンガリーに侵攻してウィーンを包囲。たまたま猛烈な寒波が来て助かった。(元寇っぽい。二回も天候に救われた)

しかしキリスト教の腐敗はひどい。ローマ教皇が数世紀にわたって教皇領を治めてた(私兵を雇い、協会を通じて税を取り、王や皇帝を任命)が、その根拠としていたコンスタンティヌスの寄進状(コンスタンティヌス1世西ローマ帝国ローマ教皇に委ねた証書)が、これが偽造だったことが発覚。おいおい…

実はフランク王国のカールを皇帝にしたのもこれが根拠。マジかよ。偽書と指摘されたのが15世紀で決着したのは18世紀。グチャグチャだな。

中世のヨーロッパは政治・思想もバラバラで対立し、周囲は過酷な自然や異民族に囲まれて閉塞状態。そんな中、海の先に夢を求め始めた。最初は1450年頃のポルトガルエンリケ王子。10年間に15回の挑戦でアフリカを越えてサハラ砂漠に到達して要塞を作り、イスラムの仲買人を経由せずアフリカの奴隷と黄金を輸入出来るようになり、莫大な富を得る。この戦略はヨーロッパ中に広がった。

 

次は中国。