K’s blog

日系SIer → 外資戦略コンサル → 日系電機メーカー → ロボットメーカー、というちょっと転職回数多めの筆者が、雑学・ビジネス・政治経済・趣味のマンガについて語るブログです。

学校教育と学歴についての考察

学校教育の目的は、個人の能力と、集団内における社会性の育成と言える。

社会性の方はちょっと置いといて、ここでは個人能力の方について言及する。

 

育成すべき能力はその使用目的によって異なるものの、小・中・高においてはどの仕事でも共通的な部分が多い。

 

その点、今の日本の教育は目的が曖昧かつ惰性に依っているため、非常に非効率・無為と思われる部分が大きいと思う。

 

例を挙げると、日本史のマニアックな年号・細かな事象の記憶を問うところや、古文。教養というには余りにマニアック過ぎるでしょ。受験終わったら誰も覚えてないし、一生使うこともない。

 

そんな事より、日本語の読解能力、基礎的な算数(確率とか)・計算能力、ロジカルシンキング、お金の使い方・資産運用、世の中の職業の種類と特徴、近代の世界史と世界各国の一般的な知識、英語のリスニングと多読、などどの職業になろうとも必要なスキル・教養があるはず。

 

文部科学省は本当に何をやってるんだか。

 

で、学歴は何かと言うと、まぁ人材フィルタリングツールだよね。

学歴が全てとは絶対思わないが、仕事の遂行能力との相関性が高く、また大多数の人が本気で取り組んでいることから、これ以上に汎用的かつ有用なものは今の日本では無いと思う。


受験は一種のスポーツだと考えると、フィルタリング機能としては結構役に立ってるけど、その評価項目である科目がさっき述べたように余りに有用性の低いものを多く含むので、ものすごい人的資源の損失になってる。

あー勿体ない。。。