小さな地方自治体とか地銀とか
ぶっちゃけ、小さな地方自治体とか地銀とか、もう要らないでしょ。
これだけ通信と交通網が発達し、また処理可能な事務量も増えたなら、少なくとも定型的な業務をこなすものは規模の経済を利かさないと勿体ない。
競争の激しい小売や製造の世界は、既にそれが世界規模で進行してて、中小でまともに生き残ってるのはキラリと光る特別なものを持ってるか、ニッチなニーズに応えてるとこくらい。
それ以外は単に低賃金で搾取されてるだけと言っても過言じゃない。(それはそれで課題だけど、それはまた別の話)
一方、自治体や地銀でこの寡占化が起きないのは、規制が働いて競争が無いから。その分、サービスを享受する住民・消費者が割りを食ってる状態。
自治体も地銀も統合は進んでるけど、長引くだけ無駄が増えるんだから、もっと早くなんないかなぁ。
(少し前に、「地方自治体の半分が消える」って騒いでた記事があったけど、それは当たり前というか、むしろWelcomeなことなのに、それを嘆く風潮だったのが、なんて言うか残念。)
お金と幸せの関係
「お金が全て」「お金だけが全てじゃない」って言葉があるけど、これはどっちも正しいと思う。
お金は、複数の人にとって価値あるものを交換する時に使う媒介ツール兼尺度。
だから、お金は最も汎用性&共通的な価値あるものと言える。(正確に言えば価値のあるものと交換できる交換券)
ただ、当然ながら万能ではない。
例えば、人並な生活ができてて、まだまだ残りの人生が十分長い人は、両眼を潰したら1億円あげる、と言われても、Yesと答える人はまずいない。
一方、マズローの第二段階まで(生理的欲求と安全欲求)までなら、大概お金で解決出来る。
逆に、今の社会でお金がないと、自立してこれらを満たすのはかなり難しい。
だから、自立するためのお金は必須。
後は、マズローの3~5段階の実現手段or評価尺度としてお金を考えた時に、人によって(かなりの割合で)歪みが出ちゃうんだと思う。
理想的なのは、お金を稼ぐ=なんらかの社会貢献の成果≒社会的評価&自己満足 → そして、稼いだお金で更に社会貢献、のサイクルなんだろう。
それだけ考えたら必要以上のお金もあるに越したことない。
ただ、それが勢い余って、手段である筈のお金の重要度が必要以上に上がっちゃいがち。これ以上、汎用性が高いものはないからね。
ここで金持ちの不幸の元になるのが「不公平感」だと思う。人間にとって「不公平」って凄く不快な感情なんだけど、金持ちは周囲の人の不公平感を刺激し易いから軋轢とか問題とか起こりやすい。お金に困っていない金持ちの遺産相続問題の原因がこれだと思う。
だから金持ちでも幸せになりにくいんじゃないかな。
ちなみに公平感は猿でも重んじる程原始的な感情。
一匹にただバナナ半分あげると単純に喜ぶ。でも、一匹にバナナ一本あげて、別の猿に二本あげるのを見せると、一本しかもらえなかった猿は不満を示すor怒る。多分、共同体を維持するのに必要なものなんだろう。
とゆー訳で、遊んで暮らすだけの金持ちになれたらラッキーだけど、流石に難度が高いし、負け惜しみっぽいけど金持ちも幸せになるのはなかなか難しそうだから、不満のない生活を送るだけの収入を得るだけで良しとしようかなと思う今日この頃。