意識改革で変えるべきなのは環境
意識・考え方は環境の影響が大きい。なので意識を変えたければ、変えるのは人ではなく環境。頭ではなく足。
ノウハウの本を読み、著名人の講演を聞き、社内研修を重ねるような「意識改革」は精神で精神を変える努力で、努力した気分になるが、効果は薄い。それで持続・変えられるなら多分ずっと前に変えられる。(全く新しい考えに接した場合は別だけど)
気分が優れないなら、出かけてみる。
やる気がないなら会社を変えてみる。
テレビを見る時間を減らしたければ、テレビを捨てるorコンセントを抜く。
人生がうまく行かないならば住む地域を変えてみる。
本当に自分を変えてみたいならば頭ではなく、足を使うべき。
チャレンジの判断基準
チャレンジを促す言葉は多い。
ただ、世に残るのはチャレンジの結果成功した者の言葉であって、失敗者の言葉が残ることは稀だ。
また、チャレンジを抑える言葉はぶっちゃけ面白くないしなかなか魅力も感じない。
その意味で、チャレンジを促す風潮は少しバイアスがかかっていると見るのが正しいだろう。
とは言え、チャレンジが無ければ小さな成功すら無い。では、チャレンジすべきか否かをどう判断すべきか?
損得で考えるなら以下の結果が+になるならチャレンジすべきとなる。
今回チャレンジして成功した時の損得×成功確率+今回のチャレンジして失敗した時の損得×(1-成功確率)−今回チャレンジしなかった時の損得
※得は+、損は−で計算。機会損失を含む。
ここでポイントになるのは、どの位の損失まで許容出来るのかと、どの位の対象期間を想定するか、あとは機会損失を忘れないようにすることだ。
まず、人がとやかく言うことでは無いが、やはり取り返しのつかないような損失が発生する様なチャレンジは避けたい。これは流石に冷静に考えれば分かるはず。
一方で忘れがちなのは、長期的な視野に立った時の、チャレンジしないことによる損得(リスク)、特に機会損失の部分。
世の中のチャレンジを促す言葉の大部分は、このポイントを計算に入れるのを忘れるな、ということに集約されると思う。
後は、それぞれの損得の大きさと、成功確率をどう読むか、に依存する。
チャレンジする/しない、に答えはないが、損得の大きさと成功確率を「これ以上考えるのは無理」というくらい考えさえすれば、どんな結果になっても後悔はせずに済むと思う。
【マンガ書評】春の呪い
亡くなった妹の元カレとの交際。
でも、そんな陳腐な表現では語れない、スピード感で引き込まれる。
一気に読んだが近年稀に見る傑作。
マジでオススメです。
日本語に関していくつか
日本語でよく主語が省略されることと、日本において社会的な同調圧力が高いこと・ムラ社会・個人が弱いことには相関がある。
例えば、英語も昔は主語が必須ではなかったらしい。ムラ社会から個人主義の台頭に伴い、主語が必須になってきた。
日本語は英語からとても遠い言語。
そのため、母語が日本語の人が英語を習得するのは、多言語を話す人に比べて時間がかかるという統計がある。
これは英語習得のハードルが高いと言えるが、一方で防御の観点で言えば文化的な障壁が高いとも言える。
最近、日本は世界に取り残されるガラパゴス的な面が強調されがちだが、1.3億人というそれなりに多い人口、言語の障壁、海に囲まれている点、から考えると、トータルとしてはマイナス面よりプラス面の方が多いのではないかと思う。
日本語は表意文字と表音文字の両方を使う、世界でも稀な言語。これにより、右脳と左脳の両方を使う比率が他の言語に比べて高いらしい。
で、各国の子供のIQを調べて比べた結果、日本人のIQは他国より有意な差で良い結果が出て、その理由を追いかけたらこの言語の特殊性じゃないか、ってなったんだってさ。
これを聞くと、ちょっとワクワクするよね。